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第6回講演会 ご報告(3/11)

院史編纂室の池田裕子さんに感動的な関学歴史探訪ヒストリーを楽しい語りで講演していただき、参加者全員が魅了されました。 今回は、関西学院大学出版会から出版される「関西学院のエスプリを追って」の内容から、講演いただきました。この本は、長年、学院史編纂室共同研究「宣教師」研究員として研究されてきた池田裕子さんの研究成果をまとめたものです。




本の刊行が関西学院大学出版会のウェブサイトに掲載されました。(5/19)



母校通信2023春号の「学院史編纂室」に池田裕子さんの研究書「関西学院のエスプリを追って」が、田中敦学院史編纂室長によって紹介されています。また、「関西学院スピリットの生き証人~101年前のベーツ院長の思い~」のお話も掲載されています。

第6回講演会「関西学院での47年間に開かれた扉」13:30~16:00


銀座オフィスで参加者30名の講演会


演題『関西学院での47年間に開かれた「扉」』・平松一夫 前理事長・元学長からのお言葉


池田裕子さんの言葉 「『関西学院のエスプリを追って』は、2020年にご逝去された平松一夫先生のアドバイスを支えに取り組んで、まもなく刊行されます。「エスプリ」は、第4代院長ベーツ先生がカナダのフランス語圏のご出身であったのでタイトルに入れ、表紙は、関西学院を創設したランバス先生のお父様が眠る神戸市立外国人墓地の写真です。関学で過ごした47年間に私が経験した人、資料の出会いを7章に分けて書きました。ひとつの出会いは、私を新たな世界にいざなってくれたと感じています。いくつもの目の前に現れた扉を自分の力で開いてそこから、未知の世界に足を踏み入れた経験をしてきました。」



・平松一夫前理事長・元学長からのお言葉

・ランバス先生の言葉

・池田さんの仕事の特徴を田中先生から解説


タイトルの「扉」は、W.R.ランバス先生のお言葉 ・1889年9月の関西学院を創設前に、日本で経験した出会いを「Seven Doors 七つの扉」として本国に報告している。 ・door(内と外の境界)foreign(境界線を越えると外国)forest(境界線を出たところにある森)これらは全て、語源が一緒であることがわかり、自信を持ってDoorsを「扉」とした。

池田裕子さん 「私が関学で開けた「外国の扉」を今回、本にまとめました。開けるのに苦労した扉もありますが、思い切って飛び込んでよかったと今では思っています 」


【池田さんの仕事の特徴】

1)人々の輪を広げ、関学関係者やその子孫と交流➡貴重な資料の提供


 ベーツ先生の杖(母校通信春号より)




① C.J.L.ベーツ第4代院長・初代学長愛用の杖 ベーツ先生のご令孫アルマン・デメストラル氏より2022年10月にご寄贈いただいた。 ・96㎝の杖から、ベーツ先生の身長は186㎝と推測される。 ・銀製の柄の部分には、「福」と「梅の花」がデザインされている ベーツ先生の胸像 ベーツ先生の子孫との交流は、24年前に見た署名入りの胸像写真(左手写真)がきっかけだった。 ・池田裕子さん「古い資料が語りかけてくる感じがある」 ・その見たこともなかった胸像探しが始まる➡「1936年の胸像と娘ルルの写真」と「胸像はカナダの教会にある」との資料を見つける➡ベーツ先生の出身校のマギル大学のアルマン教授に連絡➡カナダ訪問 マギル大学マクドナルド・カレッジのスクールモットーが関西学院の「Mastery for Service」と同じであ ることを知った。(詳細は、関西学院史紀要に掲載されています) J.C.C.ニュートン第3代院長愛用のシルクハット ニュートン先生の玄孫のアマンダ・シールズさんから2002年に寄贈された。



J.J.Newton賞



ュートン先生の子孫との交流は、大学図書館から受けた質問「初代図書館長を務めたニュートン先生の子孫と連絡を取りたい、連絡先を知りませんか?」からだった。 ・理由は、毎年テーマを決めてエッセイ、小説などを公募し、優秀な作品に贈る「J.C.C.ニュートン賞」を創設したが(2000年~2017年)関学創立時の神学部長で初代図書館長でもあった第3代院長の子孫の方の許可をとっていないこと。連絡が取れず、1989年の創立100周年の記念式典にもお招きできなかった。 ・ここからの池田さんの子孫の方を探し出すパワフルなお話に、参加者からは、何度も感嘆の声があがりました。ニュートン先生の娘のルースさんには、大学教授の息子のニュートンさんと画家の娘のフローレンスさんという二人の子供がいたという1933年の資料を見つけられました。次の代の方を捜すために、池田さんは、ニュートン家系図から、今、生きていらっしゃるであろう子孫の方の名前を推測し、電話帳で調べたノースカロライナに住んでいるエモリー・アンダーウッドさんに直接電話をしました。その方は池田さんの予測通り、ニュートン先生の曾孫でした(参加者からは驚きのどよめきが起こりました)。その初めての電話で、6年前に起こった阪神淡路大震災でブランチ・メモリアル・チャペルのことを心配してくださる会話があったそうです。そして、2002年7月にアンダーウッドさんを山内一郎第13代院長とご一緒に尋ねることになりました。 ・滞在中にニュートン先生の故郷サウスカロライナ州まで、ドライブした時に三日月が白く染め抜かれた青い州旗が目にとまり、何故ここに関西学院の校章があるのかと驚かれたそうです。 「故郷のシンボルを校章にしたのでは?」と、曾孫のアンダーウッドさんは、お話になったそうです。 (詳細は、「関西学院のエスプリ J.C.C.ニュートン」6.クレセントの秘密に掲載されています)


2)関西学院史を網羅的に研究➡歴史の一部の研究では見えなかったことを発見


「ランバスの葬送」とされた写真


『関西学院の100年』の図録の「ランバスの葬送」とされた写真が、背景に写った校舎から時代が違うことを指摘など、歴史の一部の研究では見えてこなかったことを見出しています。 (母校通信春号の田中編纂室長の解説)


3)国内外を問わず、現場に行っている


・2013年 ランバス先生の故郷への旅

・平松学長・山内理事長・畑院長


学院史編纂室便りNo.56

池田さんは、ベーツ先生、ニュートン先生の子孫の方との交流でカナダ、アメリカへの訪問の他、ランバス先生の故郷ミシシッピ州・パールリバーへは2度も訪れています。 「創立者W.R.ランバスの足跡をめぐる旅」が計画された時は、アメリカ南部編(2013年)の実施にあたり、現地関係者と交渉をされ、ツアーにも同行されました。 2020年秋には「ベーツ院長の足跡を巡る旅(カナダ)」が実施される予定でしたが、残念ながら新型コロナウィルス感染症の流行拡大のため、一旦中止となりました(詳細は、学院史編纂室便りに掲載)


4)学院史研究を超え、発展したケースがある



・池田さんの研究がラトビア大使に繋がり、関学OB今西貴夫さんとの繋がりに発展


ラトビア出身で関学に勤めたイアン・オゾリンを発掘し、その研究成果がラトビア大使館の目に留まり、ラトビアと関学の交流が始まったのは、その典型例です。(母校通信春号 田中編纂室長の解説) 池田さんは、現在、関西日本ラトビア協会常務理事としてもご活躍です。

ヴァイヴァルス大使と池田裕子さん

講演の最後は、商学部時代のお話でした。中村巳喜人先生の戦争中の捕虜が大森捕虜収容所に移送される前の感動的な一杯のコーヒーのお話から、女子学生が少なかったゆえの苦労話や、楽しいお話で参加者が笑いに包まれました。





【池田さんへの感謝のお言葉】


藤稔大同生命保険株式会社会長 「先日、滋賀県の三日月知事より、滋賀県の有名人として、キャンパス設計者で関学や大同生命とも縁の深いW.M.ヴォーリズを盛り立てていきたいとのお話をいただきました。大同生命とも関係のある姻戚筋で、広岡浅子の実の娘と結婚をしたのが、ウイリアム・ヴォーリズが結婚した一柳満喜子の兄(広岡恵三第2代大同生命社長)でした。その関係で、大同生命本社ビルをはじめ、多くの建築を手掛けました。

ヴォーリズは、「天皇を守ったアメリカ人」(上坂冬子著)とも称されています。ダグラス・マッカーサーとは、高校の同級生で、彼は、日本を統治するにあたり、内々にヴォーリズに相談をしていたこと、「人間宣言」を英文でどのような形で出したら良いかも相談していた、そして、そのことを発表する前に、ヴォーリズは、親交のあったベーツ院長に「天皇陛下の人間宣言に関して」という手紙を書いていたことを、池田さんが見つけてこられました。ヴォーリズ書簡は、1999年モントリオールを訪問した際に、ベーツ院長のご令孫アルマン・デメストラルさん宅で拝見した資料の一つだったそうです。(詳細は、「関西学院のエスプリ C.J.L.ベーツ」16.「人間宣言」とヴォーリズに掲載されています) 池田さんとは、今後も「ウィリアム・ヴォーリズ」のことで、ご協力をお願いいたします。 素晴らしい講演をありがとうございました。」 舟木讓関西学院大学経済学部教授・宗教主事 「池田さんは、1998年4月に経済学部宗教主事に就任した私とは入れ違いでしたが、経済学部職員としてのお働きから学院史編纂室でのお働きに移られています。先ほどのベーツ先生の胸像のサインに気づかれたのが、1998年。学校の職員の方は、所属部署の異動によって、転職するのに等しいくらい職種が変わるのですが、経済学部職員として働かれていた方が、ご異動後すぐに気づかれて、すぐに動き、豊かな発見をしてくださったことになります。そしてそうした積極的なお働きを今日までずっと学院史編纂室の中で続けてくださっています。 今日は、田中編纂室長が池田さんの働きをとても分かりやすく詳細に解説していただいた内容に沿って、講演していただきましたが、本日のご講演内容の何千倍もの関西学院のルーツ・アイデンティティー・関西学院との関係がある多くの方々との交わりへの扉を数多く開けて下さいましたことに感謝申し上げます。ラトビアに関しても、誰も気づいていないことに気づかれ、積極的に行動を起こし、現在の関係を作っていただきました。そのお働きの果実の一つとしてラトビアの初代大使も関西学院を訪問され、その後何度も交流して現在の豊かな実りへと導いてくださったのも池田さんです。関西学院が世界市民としてさらに豊かに羽ばく多くの種を池田さんがまいてくださり見事に実っていったことをここに改めて感謝をもって皆様にお伝えしたいと思います。ただ、池田さんとの交わりの中で個人的に一つ残念だったことがあります。それは、私の院長時代に同窓会で予定されていた2020年秋の「ベーツ院長の足跡を巡る旅」が、コロナ禍で一旦中止になったことです。また、何かの機会でご一緒できればと思います。 3月末で退職はされますが、4月からは、大学での講義や、神戸居留地の研究会での活動などを通じて今後もいろいろと豊かな発信をしていただけると思います。また、5月の出版に向けての準備を続けておられるご著書が出版された時には出版記念会が出来ればと願っております。 これまでの尊いお働きに改めて心より感謝申し上げます。」


池田裕子さん(前列左から3番目)と参加者の皆様

演会後は池田さんを囲む会食に20名出席、楽しいひと時を過ごしました💛

🌻KGソレイユの会からご報告


昨年4月の桜が満開の入学式の日、学院史編纂室で池田裕子さんと初めてお会いしました。2年ぶりの第3回講演会の資料を工藤大同生命保険株式会社会長からいただいていたので、池田さんからご説明を受け、学生の頃は図書館だった大学博物館を訪ねることができました。池田さんの楽しいお話に魅了されKGソレイユの会での講演をお願い致しました。今回の講演会では、多くの池田さんのファンの方々に参加いただきました。東京支部三日月会で講演会の案内をさせていただきましたことに感謝申し上げます。 前日の10日には、「ANA Blue Base 見学ツアー&関学OGOB交流座談会」で1年生から3年生の大学生24名と関係者8名が銀座オフィスで交流座談会をいたしました。同窓生と学生の交流は、銀座オフィスにおいて初めてで、その扉をソレイユの会として開けることが出来ました。学生にも、池田さんからいただいた資料をプレゼントしましたが、関学のアイデンティティーを持って、就活に望んで欲しいと伝えました。 4月からの23年度のKGソレイユの会では、「活躍するOG紹介」をしていきます。池田さんは、定年退職後も、新たな扉を開けてご活躍されるようです。そのご活躍もKGソレイユの会のブログでアップさせていただきます。

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